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2009年9月

9月28日

今日はメガネ屋に行って、この前新調したメガネがずれるのを直してもらった。
なぜか店員の男性にタメ語を使われる。無論、年上なのだが。私も私で結構いい歳なのだ。ちょくちょくこういうことに遭遇する。私は一体いくつに見えるのだろうか?去年だったか、年齢を超えてやると決めたからいいっちゃいいけど。そういえば、この前会ったS野に全然変わらないですねと言われたな。ヤツはヤツで久しぶりの再会だというのに無防備にノーメイクで現れた。金髪にすっぴんというのはなかなか衝撃的である。注意しておいた。
いや、むしろ、タメ語を使う人は常にそういう人で、たまたまタメ語に敏感な私と遭遇しただけなのかも。あ、私はタメ語に敏感だったのか。そーか、そーかもしれない。
どうでもいい話ですわ。

この前の土曜日にまた顔振峠に行ってきた。
N平がプライベートイベントをやるというので、面白そうだから参加したのだった。
イベントというから勝手に大事だと想像して、一緒に参加してくれたKちゃんに何人来るんだろう?たくさんだと思う的なことを吹き込んでいた。
いざ、約束の時間15時少し前に吾野駅に降り立ち、改札を出ると……N平一家しかいなかった。あれみんなは?と思いつつ、N平の横でじゃれ合う中学生男子に希望を託すがやはりただのガキだった。そう、プライベートとは本当にプライベートであった。私とKちゃんはN平一家の家族行事に参加することとなったのである。
ただ断っておくが、一家としては結果的に家族行事みたいな感じになってしまったのだ。つまり、私たちぐらいしか夕方山に登るという酔狂なアイディアに飛びつかなかったのである。当然だ。私とN平は去年も経験しているが、結構不思議な感覚で面白いけど、危ないもん。
それも今回、M声くんという一歳半の男子もいる。駅からのびる階段下にはベビーカーもある。無論、このベビーカーも山に登る。

分かっている。分かっているよ!突っ込みどころ満載なのは。
しかし、気にせず、トライ!

出発してまもなく、去年閉まっていて食べられなかった饅頭をゲットする。念願かなって、俄然私のテンションは一人上がる。
M声はすぐにベビーカーに乗ることに飽き、テクテク歩くことになる。が、ヨタヨタ歩くので若干のタイムロスを食う。
N平がインスピレーションをもらった山の素敵空間近くにて、N平の童謡を聴く。ふと、見上げると木の上の方で黄色い蝶々がヒラヒラと飛んでいた。ヒラヒラ、ヒラヒラ、ふわふわ……幸先いい感じ!
そして、湧き水を飲んで、いざ山の中に分け入る。M声はママのIさんがおんぶする。ベビーカーはN平が担ぐ……無謀。ベビーカーに乗っていた荷物をKちゃんと私が持つ。これぞ、まさしく共同作業だ。
で、なんとか顔振峠にたどり着く。やっぱりここから見る景色はとてもいい。なんでか分からないが、この景色は自分に天狗が木のてっぺんに立っているのではないかと想像させる。
お大尽M声はいつの間にかママの背中で極楽浄土へ。その後、M声はみんなが饅頭を食べ、夕方から夜になる感じを楽しんでいる間も眠りほうけ、すっかり暗くなった山道を降りている時に目を覚まし泣きまくる。当然だ、目が覚めたら真っ暗で虫の声・川の音・葉音などなど理解不能だろう。
M声の泣き声は結構大きくていい熊よけとなったので、なかなか重宝した。M声のおかげで、私たちの危険を何パーか回避することができたのだ。でも、時折通り過ぎる民家の方々には恐怖を呼ぶ声だったかもしれない。こんなに暗い山道から赤ん坊の声がする……非常に怖いシチュエーションだ。
熊に遭遇せずにすんだが、車に数回轢かれそうになった。ほんと怖かったわ。でも、車に乗っている人にとってもヒヤッとしたのだろう。暗闇の山道には、人はなかなか歩いていないはずだもの。びびるな。

なんとか無事吾野駅に到着。ヘトヘトだ。M声は明るいところに来て本来のペースを取り戻し、絶好調!疲れている大人とは対照的に、陽気に動き回る。その顔は悪ガキそのもので、それが何とも言えずかわいい。

そして、電車はもと来た道を戻り、住み慣れた風景へ連れていく。
実に私はこの一家が大好きで、いつも別れ際はとても寂しくなる。今回も同様。手を振る手に力が入る。大人になってこんなことはあまりない。

家に帰って、デジカメの写真を見返していると、M声の悪ガキらしさが出た一枚があった。すっごくいい。
今、それを一日一回見ては癒されているのがブームとなっている。
今度はいつ会えるのかな。
あぁ子供欲しい。いつになることやら。

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9月21日(2)

メイリオというフォントが好きでそれで文章を書いていましたが、文字化けしておりました。大変失礼いたしました。気をつけます。
久しぶりの夜更かしです。飲酒のせいと今日の出来事のせいです。
まだ自分で整理がついていないのであんまり言葉になりません。
今日はN平のイベントに行ってきましたが、食肉について深く考えさせられる日となりました。
どーんです。
帰りは飲まずにいられず、そして、肴は野菜のみ。
野菜だけを食べられる環境があればとてもいいのに。広く菜食がごはんの選択肢の一つとなる社会になればいいなぁ。野菜はおいしい。
帰りはTさんと一緒に昼間に食べたカレーを呪いました。胃に残るし重たいし、おいしかったけど気持ち悪くて仕方がない。

はぁ・・・食肉といいタバコといい、頭を悩ます存在が多すぎる。

今日はいろんな人に会えてよい経験となりました。
そして、帰りはTさんから脚本についての意見をもらって、それはそれは本当に楽しかった。
明日は、昼と夜との詰め合わせだ。なんか予定を入れると固まるなぁ。そういう時なんだなぁ。
よしっ!楽しむぞ。

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9月21日

今日は敬老の日だ。でも、今年から何もない。

昨日、お墓参りに行った。最近の線香は端に着火剤が点いていて、よく燃える。煙がモウモウ、強めに吹く風に煽られて四方に散る。それを見てちょっとひく。

その足で本家へ向かう。おばさんが得意げに、ちょっと前に出来上がったおばあちゃんの肖像画を見せてくれる。その絵と反対側の鴨居にかけてある絵を見て、「おばあちゃんは若い頃にも描いてもらったのか?」と尋ねると、おばあちゃんの母親だった。瓜二つ。

おばさんにお客さんが来たので、いとこのお嫁さんが相手をしてくれた。その会話の中で、家にゴキブリをたべてくれる蜘蛛がいると教えてくれた。相当でかいらしい。なんとも頼もしい限りである。

我が家でも小さい蜘蛛を最近よく見る。なんとなくかわいらしく、一度も巣に引っかかったことがないので好感を持っている。私は、会う度に声をかける。「おはよう。夜にはでてくるんではないよ」と。

そうこうしていると、おばちゃんが戻ってきた。おばちゃんは、いつでもせかせか忙しくしている人なのだ。頑張って生きている感じがする。そして、こう宣言された。「ばあさんが死んでしまったから、おばさんが代わりに結婚しろと小言を言う」と。おばちゃん的には、もう私は大分慌てていなければいけないらしい。一理あるかもしれないが、どうもこうもない。そういえば、この前友達にどういう人がいいの?と言われ、とっさに答えてみたが、それが本当の答えなのかは謎である。会ったら惚れるそれだけだと思うなぁ。

帰る間際にトイレに立った。その時に、おばあちゃんの部屋を見た。ベッドも何もかもがなくなってガラーンとしていた。こんなに広い部屋だったとはなぁ。しかし、私の心の中で彼女はとても大きな存在感を放っている。


話はがらりと変わるが、虚ろな人は本当に怖い。

訳が分からなくて怖い。振り回されると本当に疲れ果ててしまう。

その虚ろの正体もよく分からない。虚ろと思っているだけで、実は虚ろではないかもしれない。

でも、そんな人は結構多くて、たまにどうしようもなくなる。

人が一番怖い。

そして、人が一番愛しい。

いろんな人がたくさんいることで、世界の穴を一人ずつ埋めている。それで、今日も地球は回っている。

だから、何も気にしないということが一番よろしい。できないけど。

人はほんと分からない。言葉にしたことの中にある本心を見極めるには至難の業である。ただ冷徹にそこを見つめるしかない。惑わされないように。

さて、これからTさんと散歩してN平に会いに行ってきます。楽しい時間であります。

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9月20日(2)

この前、散髪に行った。また短くなった。なんとなく耳で風を感じたいと思ったのだ。

最近読んだジョンビーの本がとても良かったという会話の流れから広がっていって、Jさんが「やめどきが大事」と言った(この言葉とジョンビーは直接関係ない)。頭の中で、最近の点点が線となって一本につながる。来た!

「やめどきが大事」というのは見立てのことだ。ものを作る上でとても大事だ。作っている途中はあーでもこーでもないとしんどい思いをして、いざ出来上がると次にこれでいいのかと悩みはじめる。ずーっと。そんなことを通して自分は、面白いということがよく分からなくなって不安になる。自信もない。

こんな時に大事なのは、自分を信じることだ。自分は面白い。もっともっと面白くなりたいと思っている人間なのだから面白くないはずがない、と。

余談だが、「やめどきが大事」というのは先日テレビで救急医療の医師の方も言っていた。救急医療の最優先事項は命をつなぎ止めるということにある。治すとは少し違う。この「やめどき」を間違えると、患者が死んでしまうのだ。

全然違う話なようで似たような話である。

自分にとっても、作品を生かす殺すも「やめどき」次第なのだ。ただ、自分はまだ未熟でその加減や怖さも掴みかねている。見つけるまで、続けるだけだ。

一艘の船が行く。載せられる荷物は限られている。荷物が多すぎると沈没してしまう。たくさん荷物を載せたくなるけど、ちょうどいいところで止めて、次の船に載せればいい。船は永遠に航海を許されているのだから。

そんなことを考えた。

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9月20日

土曜日は本当に不思議なくらい眠いこと多い。身体は動くがなんだか思いのだ。

ヨガでは、瞑想の時間がはじめと終わりにある。この瞑想では呼吸に意識を集中して、頭をカラの状態にする。が、自分はなかなかできない。呼吸から意識を外してすぐ違うことを考えしまうのだ。昨夜話した会話の内容・ついさっきの会話の内容などなど……会話が頭の中の大部分を占め、反芻(リプレイ)するのだ。他の人はどうなんだろうか。

そんな感じでいたけど、昨日は少しできたような、感触が分かった気がした。鼻先にいる小さな自分を想像したことによって、呼吸を意識できたんではないかと分析する。この想像、言わずもがなオリジナルである。当たり前だ。

自分は瞑想と言えば、手塚治虫『ブッダ』の「涅槃」とブッダが言う台詞があるシーンを思い浮かべる(実際このシーンがあったかどうか若干自信がない。なかったら、ニュアンスでお願いします)。そもそも、仏陀(悟りを得た人)と同列に並べる無謀さもあり、実際瞑想をやるにあたり途方もなく意味不明でなす術がない。手塚は恐ろしい男ですな。

しかし、昨日は何となく分かった気がした。やはり続けていかなければ分からないということなのだ。

経験を通して見つけたもの以外は想像でしかない。分かっていることは限られていて、大体が未体験だ。実は分かっていることも虚ろではあるが……今はいい。未体験をより円滑するために脳みそは予測する。その予測は先入観であることがある。自分はそれが多いと思う。先入観は知らぬ間に入って定着する。そして、あたかもそうであると思いながら、実際とのギャップに「???」が浮かぶ。どこからやってきたかは分からない先入観に翻弄されるのだ。

まさに今回の瞑想の件も先入観だと思う。先入観を取っ払うにはどうしたらいいか、まずその考えを手でつまみ疑う。そして、それをしばらく遠くに投げてしまって、素直になる。そんでやるだけ。結局、自分で見つけるまで何とも言えないのだ。継続こそ力なりというのはこんなことでも使えるかもしれない。

脳みそは相棒だ。だけど、ちょいちょい危ない代物をよこしてくる困ったヤツだ。

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ぼけ勃発

旅行行きたくてもやる気も金もないので、ブログのデザインでもせめて変えてみました。
旅は適当に行ったら行ったで楽しいんだよねぇ……きっと。
理想を述べると、森の中の小さなツリーハウスで一人、木の下には自転車があり食事は近くのれすとらんで気ままに済ます。そして、れすとらんのマスターにコーヒーをポットに入れてもらい、帰ってハウスで飲む。窓をちらりと見たら、あぁもう夕暮れだ、森の中の音が変わっていく……みたいな。

最高。

脚本書きによる寝不足と疲労で、普段やらないようなぼけをかましています。
日にち間違えていたり、メールでウィンクの絵文字にしたつもりがあっかんべーとなっていたり、言葉が出てこない……などなど。
ここまで書いて思ったけど、こんなことはいつもやっていて今更始まったことではないかもしれない。んーもういいや。

そんなこんなでひとまず初稿は書き上げました。
が、長い。今まで一番長い作品となりました。
一時間以上の尺は自分に書けないのではないかと、ほんのちょっと不安に思っていましたが書けました。
これはこれでとてもいいこと、ですが、長すぎた。2時間ちょっとぐらいにはなってしまうボリュームなので、これから半分くらい削らないと……と思っています。相当なボリューム削減……これこそぼけで数え間違えているってことないよなぁ。
まだ気持ちがうまく作品から離れていないので、しばらく置いて直しに入ります。でも、気になるから毎日手元に持っている。
せっかく書いたなら、面白いものになるように直していきたい。
何人かの人に読んでくださいと連絡しましたが、返信がなく……これもやきもき。

あぁ、次の脚本の構想を考えなー。

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